映画 クレイジーリッチ

クレイジーリッチ(原題はCrazy Rich Asians)という映画を観ました。

タイトルから勝手に、超金持ちのアジア人がアメリカでブイブイ言わせる話かと思ってたら、全然違ってました。

母子家庭で苦労して育った中国系アメリカ人のレイチェルは、ニューヨークで若くして大学の経済学の教授になるほど優秀な女性。

付き合って何年かになる彼氏が、親友の結婚式のため、故郷のシンガポールに一時帰国する際に一緒に行かないか、とレイチェルを誘うシーンから映画はスタート。

以下ネタバレありなんですが、レイチェルは知らなかったけどこの彼氏がシンガポールの超大富豪の息子で、紹介された家族(主に母親)からレイチェルは受け入れられず、またあまりの生活や価値観の違いにも戸惑い、この先彼と付き合いを続けるか悩む、というようなストーリー。

観ていくうちに、実はこれはいろんな立場の女性が、それぞれに大切なもののために悩み、戦い、ぶつかり合い、乗り越えていく話だということに驚く。最初重要人物かに思えた彼氏は実はただの記号で、別に大して重要ではなかったんですね。

キーになるのは、主人公のレイチェル、彼氏の母親、その姑(つまり彼氏の父方の祖母)、レイチェルの母親で、つまり全員女性。

最初の「彼女であるレイチェルを家族に紹介する」と、中盤の「プロポーズ」というアクション以外、この彼氏が自発的に取る行動はあんまりない。

それ以外の決断やアクションややりとりは、全て女性側によって行われている。

あまり知られてないと思うんですが、映画における、ジェンダーバイアスの程度を図るベクデルテスト(Bechdel Test)というのがあります。

内容は簡単で、単に以下の3つの質問にイエスと答えられるかどうか。

  1. 2人以上の、セリフのある女性キャラクターが登場するか?
  2. その女性キャラクター同士は互いに話をするか?
  3. その話の内容は、お互いに好きな男性以外のことか?

の3つ。

簡単なようで実は以外と全部満たすのは難しくて、例えば最近の人気映画トップ100のうち、この全ての質問にパスしたのはたった11の映画、という結果もあるくらい。

ハリウッド女優のリースウェザースプーンは、この現状を変えるためにプロダクション会社を立ち上げ、Woman of the year の賞をもらったりもしている。(スピーチもとても面白いのでおススメ)

https://youtu.be/JKKRBnpDpBY

最近はアナ雪にせよ、こういう映画にせよ、女性の自立と成長を描いた良作が沢山出てきて、まだまだジェンダーギャップはありつつも、いい方向に進んでる感じはある気がする。

と言うわけでこの映画、おススメです^_^

ハネムーンで行きたかった場所

実は10年ほど前から、いつかハネムーンでどうしても行きたいと考えていた場所があった。

それは、「ナミブ砂漠」

10年ほど前、なんかの雑誌(忘れた)で紹介されていた「ナミブ砂漠」の幻想的で荒々しい景色に私は魅了されてしまったのだ。

もうほとんど覚えていないけれど、その雑誌ではこんな風に描写されていた(ような気がする)。「ナミブ砂漠での夜、明かりが全くない暗闇の中、満点の星が輝く。そして明け方、朝日で砂丘が赤く染まる。」

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なんと幻想的な景色だろうと想像しただけで、私は一発でナミブ砂漠に恋をした。また、日本からどう行ったらいいのかわからないほど遠い国だということも、私の幻想を掻き立てたのだと思う。

「いつかナミブ砂漠を見に行く。そして暗闇に浮かぶ星空と赤く染まった砂丘を見たい。」

というのがその頃からの夢になった。

日本からほとんど出たこともなく、いつか日本で結婚してこれからも日本で生きていくのだと思っていた当時の私にとって、そんな遠くに行く機会は人生でそうそうないように思えた。しかもそんな幻想的な場所なら、ハネムーンで行けたらどんなに思い出深い旅になるだろうかと私は夢想した。

それ以来、私の「未来のハネムーン先(希望)」は「ナミビア」になった。

ただここで一つ問題がある。

未来の旦那さんが「僕もハネムーンでナミビアに行きたい」という確率はいったいどのくらいだろうか、という問題である。

私が人生で付き合った、およびデートした(そうでなくても単に遭遇した)日本人男性ではそのような男性はあまりいないように思えた。実際、周りでハネムーンもしくは普通の旅行でアフリカに行った(もしくは行きたい)という話は聞いたことがなかった。日本に住む日本人カップルで海外ハネムーンならたいていハワイかヨーロッパかアジアだ(一人だけドバイに行ったという人がいたが。)

そうこう考えているうちに、私の婚期が私の想定していた25歳よりも大幅に(!)遅れる見込みとなり、婚活や留学や転職や引っ越しに忙しく、ナミビアのことはすっかり忘れていた。

まぁ、結婚相手が見つからないので、ハネムーンどころではないのはしょうがない。

あまりにも「ハネムーン=ナミビア」のことを忘れていた期間が長かったので、ようやく今のドイツ人旦那さんと結婚することになり、ハネムーンどうしようかという話になってすら、しばらくナミビアのことは忘れていた。

しばらくいろんな行先を考えた挙句、世界地図を眺めていて「そういえば私はナミビアに行きたかったんだ」とはたと思い出した。

せっかく思い出したので、ダメ元で旦那さんに「ナミビア」を提案したところ、なんと「実は僕もナミビアはずっと行ってみたかった」というではないか。

この時ほど「この人と結婚してよかった」と思ったことはない、というのは言い過ぎだが、不思議なご縁を感じたのは間違いない。確かに彼はアフリカのタンザニアでボランティアをしていた経験があることは知っていたが、結婚することにした相手が自分と同じ(しかも別にメジャーではない)場所をハネムーン先として挙げる確率とはいったいどのくらいだろうか。

(ヨーロッパ人にとってアフリカは日本人にとってのそれよりも近いので、アフリカに旅行先としての興味を持つヨーロッパ人は日本人よりは多いというのは確かにある。が、とはいえナミビアはやはりそんなにメジャーではないと思う。)

しかも、彼の場合はなんと義理のお兄さんの妹(お姉さんの旦那さんの妹さん)がナミビアでNGO活動をしているというご縁付きだ。

私は運命論者というわけではないが、のろ気覚悟で言うと「運命」のようなものを感じたというのが正直な気持ちだった。日本とドイツでまったく何の縁もゆかりもなく30数年生きてきて、なんかの拍子に出会い、人生を共にすることに決めた相手が、偶然とはいえ自分と同じようなことを考えていたというのは本当に面白いなと思う。

そして、こんだけ言っておいて、実はハネムーンではナミビアに行かなかった(諸事情により無難にモルジブになった(笑))けど、せっかく10年温めてきた夢なのでそう簡単に叶わないのもまた一興とも思う。

いつか行くぞ、ナミブ砂漠!!

(おまけ)

以前「ニルスの不思議な旅」という子供のころ見ていたアニメについて書いた時も、書きながら自分が子供のころから「乙女チックさ」よりも「旅」とか「冒険」に強くひかれていたことに気づいたんだけど、このナミブ砂漠もやっぱり「冒険」寄りだなぁ、と書きながら痛感。昔は「乙女チックな女子が女子として最高ランク」みたいな思い込みが(少なくとも自分には)あって、乙女チック寄りになれない自分にコンプレックスを感じたりもしていたけど、最近はようやく「なれないものはしょうがない」と思えるようになった。

乙女チックな人にはそういう人の、そうでない人にはそういう人に合ったそれぞれの居場所があるんだということが実感できるようになったのが大きいかもしれない。若い時は、自分の周りの世界って狭いし、似たような価値観の人が多い(もしくはそうでなくてもそれに合わせちゃう)から、いつも居心地の悪さを感じていたけど、世界が広がっていくにつれ「自分に合ったところがこの世界のどこかにはある」って思えるようになったからかな。

京都大iPS研究

京都大のiPS細胞の論文不正問題、個人的に大変ショックでした。

生命科学を勉強したものの端くれとして(山中先生の書いたゲノム系の教科書も愛読してましたよ)、また毎日研修室で試験管を振っていた経験から言って、色々思うところがありすぎて辛い。

まず、生命科学系論文の不正は、その性質から言って筆者(特に教授や助教レベル)が本気でデータねつ造を働けば、論文掲載自体は防ぐのはかなり難しいんじゃないかと思う。論文が掲載され、多数の人が再現実験を行って「どうやっても再現できない」という声が沢山でて初めてねつ造の疑惑が立つのであって、掲載雑誌が査読段階ですべての論文の再現実験をすることは現実的じゃないし、生身の細胞が相手なだけに、1回再現できなかったからと言って必ずしも全内容を却下できるものでもない。だから、査読する側も最終的にはかなりの部分「筆者が出してくるデータ」に頼らざるを得ないんじゃないかと…。

ねつ造が行われる背景には、もう色々あるんだろうけど、よく言われる「不安定な雇用と研究資金(しかも額も大したことない)」「研究資金を得るためには有名雑誌への掲載実績が重要」「有名雑誌への掲載プレッシャーから思い余ってねつ造」というのが大きい気はする。

iPSに限らず生命科学系の研究はとにかくお金がかかる。しかも基礎研究は「何の役に立つのか」という批判に常にさらされている。そこへ「研究資金のための有名雑誌への掲載」というプレッシャーが常にあれば、ねつ造が行われてもおかしくないだろうなと思う。ラッキーならばれないわけだし。

更に、iPSは、ここのところ多方面でパッとしない日本のプライドの最後の砦みたいな研究なわけで。にも関わらず、山中教授が寄付集めにやっきになるくらい日本の研究資金状況は悪いことにも改めて残念な気持ちになる。

気になって寄付金集めのページを覗いてみたら、なんと1,800万しか集まってない(大口の寄付は別途集計なのかもしれない)。

ネットでは山中先生は海外にでも行って潤沢な研究資金の元、資金集めなんかに煩わされず研究に邁進してほしい、という声もあるけど、私は私に今できることをしよう、と思って自分的には結構な金額を今しがた寄付しました(かなり簡単でびっくり)。

寄付に興味がある方はこちらからどうぞ。

山中先生とiPS関係の研究者の方々、そしてその他すべての研究に従事する人々の置かれている環境がよりよくなりますように。

Childhood dream

「ニルスの不思議な旅」というアニメをご存知でしょうか。

私が子供のころテレビでやっていて(地上波だったのか衛星放送だったのか記憶が定かでないけど)、大好きなアニメでした。

いたずらっ子の男の子のニルスが妖精に意地悪したせいで小さくされてしまって、飛べるようになったアヒルとガンの群れとともに旅をして成長する、というお話です。

ヨーロッパに来てから公園や森でガチョウやガンとかカモを見かけることが多くなり、見かけるたびにこのアニメを思い出します。

もともとかなり小さいころからいろんな国に住んでいろんな人や世界に出会いたい、という夢を抱いていたので、このアニメはまさに私が子供心に持っていた「旅への憧れ」を描いたような作品だったんだなあと、今になって思います。

ちなみに、この作品に限らず、同じ家で同じアニメを見て同じゲームをして育った妹や弟(もちろん通った学校や習った先生もほぼ同じ)は、特に世界放浪癖や語学学習への傾倒癖はないので、同じような環境で育ってもそこからどういう方向を選び取ってどういう人生を生きていくかは、個人の生まれ持った性質や指向次第なんだなぁ、といつも思います。

そして、このアニメを思い出すと、いつもついでに思い出すエピソードがあって、それは何年か前に海外留学or駐在経験のある知り合い&その配偶者何人かと家飲みをしていた時に「なぜ海外に出ようと思ったのか」という話をしていた時のこと。ある女性から「理由は色々あるけど、たぶん一番初めは小さいころ読んでもらったおとぎ話のお姫様に憧れたことかな」という話が出て、すごくびっくりしたんですよね。同じ「海外志向の女性」というカテゴリでも、私はニルスの旅にワクワクしたことはあっても、おとぎ話のお姫様に憧れたことが全くなくて、「なるほど、そういう出発点があるのか!!」と。まぁ、自分の生まれながらの乙女チック度の低さを目の当たりにしてショックだったというのもあるんですが(苦笑)、本当に「出発点」というのは人それぞれだなぁ、と。

ちなみに、このニルスの不思議な旅、大人になってから知ったのですが、スウェーデンが舞台らしく、ニルスが旅をしながら上から眺めた景色(平原や森、湖、建物など)が、今私の住んでいるドイツの飛行機から見える景色にとてもよく似ていて、飛行機からドイツの景色を見るたびに、いつも懐かしいような、不思議な気持ちになります。

こんな風に、大人になってから新しく経験・遭遇することのなかに、子供のころの記憶が見つかる瞬間が大好きで、人生の答え合わせをしているような気分になります。なんというか、トランプの絵合わせで、絵柄が合ったときのような快感というか。

時々こういう話を周りの人にして、「そういえば私も小さいころ〇〇が好きで、、、」とかいう会話をするのが好きで、そういう話の中でその人なりの「答え合わせの瞬間」が垣間見えたりすると「ああ、大人になるっていいなあ」と思ったりします。みなさんのChildhood dreamは何ですか?

ビジネスの価値

たとえ倒産してもTeslaは偉大な会社だ

という記事を読んで「ビジネスの価値」について考えてしまった。一般に「事業の目的は株主の利益を最大化すること」と言われる(特にアメリカでは)けど、実はそれはビジネスの一面的な価値しか捉えていない。

例えば日本だと会社の業績が悪化しても、いきなり従業員をレイオフ(解雇)することはあまりない。株主の利益を最大化するなら、レイオフするのが一番手っ取り早いケースも多々あると思うが、そうしないのは「失業者があふれると社会が不安定化し、社会保障費も増大し、結果的に社会全体の不利益になる」から、そうならないための受け皿に会社がなってきた、という歴史がある。

翻って、上記の記事では、かの有名な破壊的(?)起業家イーロン・マスクの立ち上げた電気自動車事業「テスラ」について「現時点で株主への利益は薄い・もしくはほとんどないかもしれないが、社会全体に恩恵をもたらす事業であり、万が一倒産しようが株主利益がゼロ(マイナス?)だろうが、テスラは偉大な会社だ」という論陣を張っている。そして、そうした事業の例として「ドーバー海峡トンネル」事業を挙げているのがまた面白い。引用すると、

「ドーバー海峡トンネルは民間資本で建設されたものの、投資家にとっては完全な失敗だった。「トンネルはわれわれ全員が恩恵を被るすばらしい施設となった。ただしその建設に資金を出した人々にとってはそうではなかった」と評される。」

とある。

なんというか、興味深い構図だと思う。「儲かりそうだ」と思って投資する人がいないと事業はそもそも始まらない。しかし「儲かる」とは違う形での価値を作り出す事業の恩恵を受けるのは、投資をした人たちではない。

ここで「そういう公共性の高い事業は公共事業でやればいいのでは?」と一瞬思ったけど、あまりに革新的なビジネスアイデアだと公共事業でやるには投機性が高すぎて無理なのだろう。

この記事で書かれている、「儲けを出すことが不可能な事業であってとしても、マスクは要するに市場でだぶついていた資金をTeslaという優れた目的のために使ったというに過ぎない」という視点になるほどなと思った。私のような一般人には到底わからないが、世の中はどうやら「金余り」という状況らしいので、壮大なビジョンと行動力のあるマスクのような人に、人類全体に波及効果のあるような分野で余っているお金をどんどん活用して行ってほしいと思う。

特に、環境問題、エネルギー問題、人口問題、貧困問題、といった「国」という枠組みで縛れない問題については、こういう「飛びぬけた個人や組織」が物凄い財力とネットワークを駆使して「世界の仕組み」から変えていく他ないんだろうなと思う。「国」ってどうしても個々の「国」の利益を最大化することが目的化しちゃうから、「うちの国は経済活動が大事なのでCO2排出規制は批准しません」みたいなことになってしまって、一向に進まない。

というわけで、イーロン・マスクのような人たちは現代の救世主なのかも、と思った記事でした。

外向的vs内向的

私のことを直接知る人はおそらく信じてくれないと思いますが(笑)、私は昔から結構「自分はもしや根は内向的な人間なんじゃないか」と思ってたんですよ。

自分の興味あることに関してはよく喋るし、行動的だし、そんなに物怖じせずに初めて会った人にも話しかけることができるので、社交的な人間だと思われてるんだろうなと思うし、自分でも社交的な面があることは認識してるのですが、それ以外のことに関しては実はものすごく引きこもりな傾向もありまして。

大勢の人の前で喋るのは今でもめちゃくちゃ苦手だし、一人で過ごす時間はどれだけあっても全く苦痛じゃないけど、パーティーみたいな賑やかな場所で大勢の人に囲まれてると今すぐ家に帰ってソファーで本を読んでいたくなるし、一日中他人に囲まれてる仕事場ではお昼休みは基本一人で静かにお昼を食べたいし、一人の時間が欲しくて職場や学校のトイレにしょっちゅう籠ってたし、集団行動も苦手で修学旅行では四六時中他人といることに疲れてその後1週間くらいろくに食事できなかったりとか。

パーティースクールと名高いビジネススクールのINSEADでの1年間は、そういう意味では私には地獄のようなところでした(苦笑)

たぶん生徒の80%くらいはハイパーアウトゴーイングで、とにかくよく喋るし体力有り余ってるような人たち。毎日のようになにかしらパーティーやイベントがあって、一学年に500人(2学年合わせると1000人!)いる生徒も複数のキャンパスを行ったり来たりしてるので、イベントに行くたびに常に「初めまして」な人に囲まれる環境。課題のほとんどがグループワークなので、複雑な課題に対して熟考してる暇もなくどんどん進んでいく議論に圧倒されるし、即興でもまるで準備してきたみたいに朗々と論理的にしゃべれる人たちばかり。

そんな環境で、自分に対して「どうして彼らみたいににふるまえないのか」といつも苛立っていました。単にスキルがないだけだろうと、コミュニケーションスキルの講座を片っ端からとったり、色んな場でのプレゼンや発言を自分に課してきたけど、「嫌々やっている」という苦痛感は変わらず、嫌々やってるのでなかなか上達もしない。

苦手なことに気を取られてるので、得意なはずのペーパーテストも散々な結果になったりして、そういう意味ではかなり精神的に打ちのめされた1年間でした。

けど、そうは言っても比較的物静かなタイプの人たちも少しはいるので、結局仲良くなったり、一緒に課題をして成果が出せるのはそういう人たちなんだな、という発見もあって。(INSEADで知り合った今の旦那さんもそっち側のタイプで、授業中発言してるところをほとんど見たことがない。)

こうした経験があったので、スーザン・ケインの「内向型人間の時代(原題:Quiet)」という本を見つけた時、直感的に「この本は私のための本だ」と思ったんですよね(反論は受け付けません(笑))

そして読んでみた結果、私がもともと持っていた「世間では社交的・外向的と思われていても本当は内向的、なんてことはありえるのだろうか」とか「実は内向的、なんていうのは自分を甘やかしているだけで、より積極的にふるまうための努力が足りないだけではないのか」といった漠然とした疑問は、「Hyper Sensitive Person(とっても敏感な人)」という概念で見事に説明されることに驚くばかり。

この概念をものすごくざっくり紹介すると、「約20パーセントの赤ちゃんは、他の子よりも外部からの刺激に敏感に反応する傾向が生まれながらにあり、彼らの多くは成長するに従って内向的な性質を持つようになる。これは、外部からの刺激に敏感に反応する神経を持っているので、物静かに過ごす時間がその他の子供よりも必要になる」という概念。逆に、赤ちゃん時代に外部からの刺激にあまり反応しない子供は成長に従って外向的な性質を持つ傾向があることもわかって来ているとのこと。

もちろん成長するに従って、生まれながらの気質以外の要素で最終的な内向性、外向性は決まるので、生まれが全てではないんだけど、「hyper sensitive」という概念は私にとってものすごく腑に落ちたんですよ。なぜかと言うと、幼い頃から母親に「あなたには「ちょうどいい」という感覚がなかった。ちょっと暑かったり寒かったり痛かったりお腹が空いたりすると、この世の終わりのように不快がる子供だったから、ものすごく育てにくかった」と。実は未だにその傾向はあって旦那さんには迷惑かけまくりなんだけど(笑)、私は単に人よりも我慢強さが足りないだけだと思ってたし、いつもそうやって怒られてきたのでそれが自己肯定感を下げてる要因でもあったんですよ。

けど、こうやって「生まれながらの気質でそうなんだ」と言われると、「そうか、私が単に忍耐が足りないだけではなく、そういう風に生まれたんだから仕方ないな」って初めて自分を許せるという癒しに似た効果がありました。その上で「じゃあそれをどうやって乗り越えたらいいかな」って改めて前向きに捉えられたりとか。

更に、この本で紹介されてる研究結果によると、このhyper sensitivityの傾向を持った人は、ある状況下では、外部からの刺激が強い状況(社交の場だったり、大観衆の前でのスピーチだったり)に耐えられる、もしくは積極的に出ていける特性もあるということがわかってきているらしい。

その状況とは「自分の興味・関心の対象」に関すること。

これも、上述した私の実感とどんぴしゃりで。自分が好きなことなら、いくらでも社交的になれる。けどそれ以外の時は人が変わったみたいに緊張しいだったり1人になりたがったり。これも、私の我慢や努力が足りないだけだとずっと思ってきたけど、「そういう性質なんだ」と定義されると、「それを無理に治そうとするより、興味あることに注力してそこで頑張ればいいんだ」って前向きになれたりとか。

この本は私にとっての人生の指針のような本になると思ったので、日本語訳を電子版で読んだ後で、英語版のペーパーバックも購入しました。いつも手元に置いておく価値があると思ったのと、英語版なら旦那さんも読んで彼自身(彼もおそらく内向型人間)及びパートナーである私への理解も深める大きな助けになると思うので。

このhyper sensitiveな気質を持つ子供やパートナーとどう接したらいいのかに関する具体的な助言や研究結果も豊富に記載してあるので、お子さんやパートナーがそういう性質がありそうな方にもぜひオススメしたい本です。

秋の夜長にぜひ。

おまけ1
上ではINSEADビジネススクールでは嫌な経験ばっかりだったみたいに読めてしまうかもですが、もちろん実際は楽しかったこともめちゃくちゃたくさんあって、要はアップダウンの激しい一年だったってことですね。ちなみに、INSEADでやった性格診断テストでは、私は「外向型(Extravert)と内向型(Intravert)のちょうど中間」でした。

おまけ2
(日本語でもペーパーバック版があるようです)

結論:やっぱり海外に出てみるのは大事

星野リゾート代表の星野佳路氏のニュースピックでのインタビューを読んだ(リンクは文末)。

一部覚えてる範囲で抜粋すると、
「コーネル大学のホテルスクールに留学してるときに式典で各国の学生は自分の民族衣装を着てきたのに、自分はスーツで、同級生にものすごくバカにされた」

「一時期、日本のホテルが海外に出て行って失敗したのは、日本のホテルが欧米流のホテルをやる理由がなかったから」

「今でも自分が新しいプロジェクトをやるときは、「あの時の同級生にバカにされないかどうか」が自分の中で大事な基準になってる」

という部分に非常に共感した。

自分ごとになるけど、シンガポールとフランスにある世界一多国籍なビジネススクールのINSEADに留学して「日本人である」ということの弱みと強みと独自性を突きつけられた時、「日本人という強みと独自性を最大限活用する」ことが自分にとっての海外での生き残り戦略になった。もちろん、その国でその国の人がやってることをその国の人より優れたレベルでやる、ということができる人はそれで生きていけばいい。例えば、ロンドンのマッキンゼーで、英語がネイティヴかほぼネイティヴで他に2、3か国語ペラペラな、スーパー頭脳を持ったコンサルタント達と凌ぎを削るとか。ちなみに私のいたINSEADではこんな輩がゴロゴロいるので、語学でも頭の回転でもプレゼンでも押しの強さでも敵わない彼ら相手に、純日本人でスーパーエリートでもない自分が彼らに真っ正面から闘いをしかけることは、あと3回くらい生き直さないと無理だとかなり早い段階で悟った。

けど、一方で「え、キミは日本人なの?日本にはいつか行ってみたいと思ってたんだよ!ぜひ日本旅行をオーガナイズしてよ」と会う人会う人に言われる訳で。最初は社交辞令だろうと思って流してたんだけど、あまりにも会う人ごとに何度も言われるので、だんだんその気になってきて「この超個性的で優秀すぎる学生だらけの学校で、成績や個性で彼らの記憶に留まるのは至難の技だけど、日本旅行を企画すれば「ああ、あの日本旅行を企画した彼女ね」とかなりの同級生の記憶に残るし、普段相手にされないスーパー同級生からも感謝されるだろう(悪い言い方をすると恩を売れる)。そういう生き残り戦略もありかもしれない」と思い、たった5日しかない春休みに日本旅行を決行。なんと、200人いたシンガポールキャンパスの同級生のうち、約4人に1人が参加するという大人気企画に。その時、日本はちょうどゴールデンウィークな上に直前までの必死の試験勉強で、準備はめちゃくちゃ大変だったけど、今でもその時参加してくれた多くの同級生からは感謝されているし、「JAPANのことなら彼女に聞け」とばかりに、その他の同級生や同窓生からも今も連絡がよく来る。

これは、例えばニューヨーク出身のスーパーエリートな同級生には使えない戦略だ。なぜならニューヨークにわざわざ行きたいかと言われても、たいていのビジネスエリートは「何度も言ったことある」か「そのうち行く機会があるからわざわざ行く必要ない」し、そもそも「アメリカ」という国自体に、exoticism(異国情緒とでも訳すのか?)と言う意味であまり価値がないからだ。私は、ある意味「日本人であることを最大限利用して」同級生という一つの「コミュニティ」に一定のインパクトをもたらすことに成功したし、この「日本のexoticismを最大限活用する」という戦略は今でもいろんな場面で私の基本戦略である。

例えばドイツのハンブルクで働いていた時も、欧州、中東、アフリカから多国籍の同僚が集まるカンファレンスでパネリストに質問する際「私は日本から来たのだが」と一言付け加えただけで、その後誰と話しても「ああ、君がさっきパネリストに質問していた日本人か」と認識してもらえ、ネットワーキングが非常にスムーズだった。

ただ、こう書いておいて何だが、私はこれは「ズルい」戦略だとも思っている。もしも私が「日本人」というラベリングに頼らず、世界中のエリートたちと渡り合える価値を提供できる人間だったら、こういう戦略は絶対にとらない。けど、自分はそうじゃないと自覚しているし、何よりもこのグローバルな世界だからこその「ジャパニーズらしさ」が今世界で求められているというのが私の肌感覚だ。これだけ世界中の人がSNSで繋がり、旅行者は増え、世界中の都市でスシが食べられるようになってさえ、いやだからこそ、「日本」や「日本文化」はまだまだミステリアスで、世界中の人々の興味をそそる対象である。だから、そのことを戦略的に活用する日本人もっともっとが増えればいいのにと思う。

星野さんはこのインタビューで、「僕たちは日本文化を背負って、「旅館」を世界に広めていきたい。」というようなことを言っていて、ああ、この人は戦略的に「日本らしさ」を活用しようとしている人だ、と(勝手に解釈して)、胸が熱くなった。

私がINSEADでこうした戦略を得たように、星野さんもこの感覚を得たのは留学中とのこと。やっぱり、日本の外から日本を見たことある人がもっともっと増えると、この国は変わっていけるのかもしれない。そう再確認したインタビューだった。

おまけ
私が読んだNewspickの記事。だた、こちらはNewspickの会員じゃないと読めないので、会員じゃない方は似た内容のインタビューをこちらをどうぞ(笑)この方メディアにけっこう出ているので、似たインタビューが見つかりました。

ドイツで引越し

この度、ミュンヘンからケルンに引っ越しました。これまでの根無し草のような人生で何度も「自分一人だけの引越し」は経験してきましたが、今回は生まれて初めての「二人での引越し」でした。

で、これが思ったよりも大変でした。大変だった理由を考えてみると、「大型の家具や食器を抱えての引越しは初めて」だったというのが大きいなと。

思い返してみると、これまでの引越しはほとんど身体一つ、少しの服と本と最低限の食器と趣味のおかし作りの道具だけ持って引越しし、家電や家具はその都度安いものを買って済ます(そこから引っ越すときには人に譲るか捨てる)という生活でした。

家具も、譲ったり大型宅急便で送れるようなるべく小型で軽量、折りたためたりするものをその場しのぎで使っていたり、海外では家具付きアパートに暮らしていました。

子供時代の愛読書はインテリア通販雑誌だったりと、ずっと「いつか大人になって自由に住まいをデザインできるようになったらお気に入りの家具や食器を少しずつ揃えたい」という夢があったのですが、30代半ばになるまで叶わずじまいでした。

一方、うちの旦那さんは、家にこだわりのある人が多いドイツ人の例に漏れず、家具や食器は「いいものを買って長く(下手したら何世代も)使う」という主義。自分が買ったり親から譲り受けたりしたおそらく結構いいお値段の大型家具(ベッド、ダイニングテーブルと椅子、キャビネ、ソファ、照明、スピーカー、額に入った大きな絵画や写真)や食器(ワイングラスとビアグラスが山のようにある…)をけっこう所有していて、これまでの私の引越しがいかに楽チンだったかを思い知りました。

特に、大量にあるグラス、コップ、食器類が割れないように一つずつ包むのが気の遠くなる作業…ビアグラス何個あんねーん!!!30個は包んだよ…。

あまりに辛くてアマゾン ドイツ版で検索したら、グラスやお皿用の梱包ボックスがあるじゃない!今回は間に合わなかったので次回までにグラス、コップ、食器類の数を少しずつ減らして、次に引っ越すときはこれを使う!!と心に決めました。

あと、大型家具も全て持って行くのではなくeBay KleinanzeigenというeBay版メルカリみたいなサービスを利用してベッドとドレッサーを手放しました。

大型家具にもかかわらず自分たちで引き取りに来て、ドイツの「なんでも自分たちでやる精神」を垣間見ました。

あと、意外と面倒くさかったのが「アパートの次の入居希望者の内覧対応」。これ、ドイツだと、退去希望を大家さんに伝えると、アパートにまだ自分たちが住んでても、「次に借りたい」という希望者が内覧に来るんですよ!で、担当のエージェントの人が家の中を案内して回るんで、その間気まずい感じで部屋でじっとしてるか、外に出かけてしばらくして終わった頃に戻って来る、ということが必要で。今回なかなか次の入居者が決まらず、10組以上対応する羽目になりました。

日本だと、まだアパートに人が住んでる場合、基本的に中は見れないですよね?似た作りの部屋が空いてれば見せてもらえるけど。

こういうのがあるから、ドイツでは家を綺麗に保っとくことが重視されるんだな…と痛感したのでした。(片付けの重要性でいうと、ドイツだと、友達が初めて家に遊びにきたら、家主が家を見せて回ることがよくあるんですよ。リビングダイニングからキッチン、なんと寝室まで友達に見せて回るという。まじ片付け必須だわ…とビックリしたのでした。)

結婚式ネタ 番外編

先日、日本での披露宴準備についてブログに書いたところ、お世話になったフリーランスウェディングプランナーの橋本さんから、「ウェブサイトに掲載する感想を書いて欲しい」との依頼をいただいたので、不肖kazwick、思うところを余すことなく書かせていただきました(なので長いです。すみません)。

人様のウェブサイトなので、自分のブログに書いた時より若干語調を和らげて書いてます(苦笑)

ドイツでの結婚式事情もちょこっと書きました。

ご興味がある方はどうぞm(__)m

ウェディングプランニングHokuleaさんのサイト

コンプレックスを移植しない

私はまだ未婚の時からずっと恐れていることがあります。それは「もし自分に娘ができて自分に似てたら愛せるだろうか」ということ。

私は普通の家庭で普通に愛されて育ったと思うのですが、自分の容姿や能力にずっとずっとコンプレックスがありました(今もあります)。

親や祖父母、学校の友達や先生に、2つ下の妹と常に容姿や能力を比較されて育ったせいだろうと思うのですが、本当に心の奥深くまでそのコンプレックスが染み付いているなあと、今でも心が弱った時や、妹と比較された時に感じます。(これはきっと妹の方でも同じかもしれません。)

30歳もだいぶ過ぎて、ようやくそのコンプレックスを普段気にしないで生きていけるようになったのに、将来娘を授かって自分がコンプレックスに思ってるところを受け継いでいたら、私はその子を純粋な気持ちで愛せないかもしれない。もし運良く私に似なくても、私のようなコンプレックスを持たずに生きていける娘を妬むかもしれない。

旦那さんも私も子供は大好きで、子供が欲しいとは思いつつ手放しで今すぐ欲しいとも言い切れないのはそういう恐怖心が拭えないからだと自覚していて。

そんな中、「結婚のずっと前」という本を読んで以来、心の弱った時には心の支えにしていた坂之上洋子さんが書かれているブログでたまたまコンプレックスという投稿を読んでいて、ある言葉が突き刺さりました。

「自分が嫌だって事、自分で克服せずに、そのコンプレックスをそのまま子どもに移植してどうするよ」

誰にでも心の傷はある。けど、その心の傷は、自分と向き合うことで克服していかなきゃいけないんだ。傷のせいで子供を持つことが怖いなんて言ってても、誰も解決してくれやしない。

娘が自分に似てようが似てまいが、自分と同じようなコンプレックスを持たずに成長してくれたら、それは自分がコンプレックスとの闘いに勝ったと思って誇りに思えばいいんだ。

そう、少しだけ思わせてくれた言葉でした。

坂之上洋子さん、(一方的ですが)いつもありがとうございます。いつかお会いするのが目標です。