日独、仕事観の違い

先日、今オンラインで習ってるプログラミングのメンターさん(男性)と雑談中、「ドイツの男性と日本の男性って結構違うの?」と質問を受けたので、

「うーん、男女関係なくなんですけど、一般的にドイツ人は日本人よりも『仕事への忠誠心』みたいなものが高くないので、『仕事が忙しい』という日本でなら大抵通用する言い訳が色んなことの免罪符にならないんですよね。

だから、日本人男性だと当然仕事を優先するような場面でも、ドイツ人男性は仕事ではなくプライベートを優先することは多々ありますね。仕事時間以外のプライベートの時間は不可侵という意識が国中に浸透してるというか。いいことなんですけど、その分、私が日本人的意識のまま仕事を優先しちゃうと、ドイツ人の旦那さんにはすごい嫌がられるという困った点はあります。」

と、返答してみました。

特に深く考えて出した答えではないですが、これをきっかけに自分の中で「日独の仕事観の違い」についてしばらく考えるようになりました。

その結果、ドイツでは仕事に限らず多くの人の価値観が「合理的かどうか」を基準に成り立っている一方、日本は「和を乱さない」が基準になっているからじゃないかということに気が付きました。

「休暇を取る人が多い」「残業が少ない」「効率的な働き方が重視される」「プライベートも非常に重視される」というドイツの働き方、これらにはすべて「その方が合理的だから」という価値観が根底に流れているんじゃないかと。例えば、

・「休暇を取る人が多い」→人間は労働をすれば心身ともに疲れるものだから、休暇がないと病気になったり、燃え尽きたりして、個人及び社会にとって非合理的である

・「残業が少ない」→残業が多いと心身ともに疲弊するので、病気になったり、燃え尽きたりして、以下同文

・「効率的な働き方が重視される」→非効率的な作業は人間のモチベーションを低下させる上に、非効率的な働き方で無駄に労働時間が長くなれば心身ともに疲労し、以下同文

・「プライベートも非常に重視される」→人間にとって労働は大切だが、家族や友人との時間や趣味や休息の時間が十分でないと結局生きる意味を十分に見いだせず、それが翻って個人や社会に悪影響を与えるので、以下同文

のような(注:あくまで個人的な洞察です。)

ドイツ人は最近3-4週間の休暇を取る人も少なくないですが、よく「最初の1週間はまだ仕事のことが頭から離れない。2週目でやっと仕事から心身ともに解放されて、家族との時間や趣味、思索に没頭できる。それこそが本当のリフレッシュであり、真にリフレッシュしてこそ創造的な仕事ができるんだ。」と言うんですね。

これなんかも、私なんかは「単に長い休みを正当化するための体のいい言い草なんじゃないかい?」とも思っちゃうわけですが(笑)、真偽のほどはさておき、やはり(長い)休みを取ることの意義を「合理的に」定義してるんですよね。

日本の働き方改革に関しては、もう絶対何が何でも必要だと思ってますが、こういう「根底に流れる価値観」がまだまだ「和を重んじる」である日本において、形だけ「効率的に働きましょう」「残業なくしましょう」とやっても効果は薄いんだろうなと、哀しいかな思わざるを得ないんですよね。(日本人の必殺技「本音と建て前」が発動されて「建て前ではノー残業だけどホントはサビ残必須だよね」となるのがオチ?)

個人的には、日本人だけでこの「和を重んじる」価値観を塗り替えるのは時間がかかりすぎると思っているので、以前も書いたけど、やっぱりもっと外国人や帰国子女のなど「自己主張する文化・価値観をもともと持っている人たち」「そもそも日本の文脈を理解する習慣のない人たち」の割合がもっと増えればその変化が加速するんじゃないかと思うんですが、どうでしょうかね。

まだまだ考え甲斐のあるトピックなので、これかれも色んな観点から掘り下げてみたいと思います。

 

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